日本で最初のビールがあるんですが
「日本で最初のビールがあるんですが、飲みに行きますか?」
え?横浜ではなかったのか?耳を疑る。
そう呼びかけてくれた斉藤さんは、元広告マン。
僕が、アサヒのスーパードライを担当していたことを先刻ご承知で、
にこっと顔を覗き込んで、誘ってくれた。
「品川県ビールって知ってますか?」
「いや、初耳ですよ」
「では、品川塾で飲みましょう」
「え?塾?予備校で飲むのですか?」
とんちんかんな会話で笑われた。
暮れも押し迫ったある日、そこは、慶応義塾大学の北棟地下の会議室だった。
その日は、小林亜星さん所蔵のSPレコードで昭和の音楽史を聴く会だった。
「シニアエージ」という会に入って二回目の集いである。シニア同志が新しい仲間をつくり、新たな活動を始めようとする、シニアのためのSNS会員のオフ会である。
明けて2月8日。その日が来た。集合場所は、京浜急行「青物横丁」。時間は16時。改札口の前に、中年の群れが溜まっていた。「品川ビールを飲む会」の有志たちである。夕方から「幻のビール」を飲みながら、落語を聴くという、シニアエージらしい趣向である。
駅から右折すれば、かの鈴ヶ森である。我々は左へ旧東海道のブラブラ歩きが始まった。ここから約50分、案内してくださるのは、品川区観光課に所属するボランティアの方だ。


最初に立ち寄ったのは、海雲寺だった。品川の荒神様。火と水の神ということで、本堂の天井には、江戸各地の火消し組の纏標が奉納されていた。釜戸の神様であるだけに、戦火に見舞われることなく、あちこちに江戸の姿を残している。
当時の石塀には、「貞奴」、「鈴本 亭」ほか、「雷門助六」、「桂三木助」、「二代目三遊亭圓遊」と、寄進者の名前が見られる。昭和10年には祈願者に「広澤虎造」の名もあった。
目についたのは、他の場所から移されたという平蔵地蔵だった。
鈴ヶ森の刑場で屍を土にうめる仕事をしていたという番人が、ある場所で財布を拾い、
振る舞ったが、その正直さをなじられ、
舗装された旧東海道を歩く。道は、参勤交代の大名行列当時の幅のままだ。
路傍には、誇らしげに「東海道品川本宿」という鉄柱の新しい道標が立ち並んでいる。
江戸を去る者は、ここで旅の身支度を調えるという場所であった。
旅人の出入口、あらゆるものが揃ったレジャーランドとなっていた。
ガイド役が、もう一人加わって下さった。しながわ観光協会の大越章光事務長だった。
次に案内された寺は、品川寺(ほんせんじ)。ここでは、さらに大きな地蔵像が出迎えてくれた。
陽も傾いて来た時間なので、そのシルエットが大きく思えた。
その一番寺が品川寺。
名付けられた理由が判った。1個の釣り鐘がそれを物語った。
大砲を鋳造して造った鐘をパリ万国博覧会に出品したが、帰途に行方不明になった。
後年、その鐘がスイスで見つかってジュネーブの博物館から1930年に返還さ
れたのだ。尽力したのが陶芸美術館の館長だったマダム・クルリーだったそうだ。
この鐘のことから、「充てにしていない金」が戻るとか、手に入るという御利益があると、詣る人が絶えないという。

北品川宿と南品川宿とに分けていた目黒川を渡る。江戸時代には「境橋」とも呼ばれていた品川橋が先にある。
この品川宿周辺には、本陣跡とか、新撰組の定宿だった「釜屋」跡とか、
町興しのために整備した立て札が読めて解りやすい。
歩いているうちに、自分が住んでいた谷根千(谷中・根津・千駄木)の町にワープした感があった。
家々の窓に明かりが点きだした。17時になった。喉が渇いてきた。
品川神社へ向かう参道、サクセス通りに出た。
本日は、特別に我々の貸し切りとなった。
そもそも、この企画に大いに関心を持ったのは、「日本最初のビール」を飲みたいと思ったからだった。ビールの歴史を調べたこともあったが、知らなかったからである。「日本最古の酵母を使ったビールだと聞かされたからだ。数ある酵母バンクから「308酵母」を選んだと広告したからだ。なによりも、その「スーパードライ」市場導入に僕が拘わったからだ。
今夜は、その「日本最初のビール」を復活させた品川縣ビール研究会の事務局長・永尾章二さんが、我々のために説明してくれた。
それによると、1869年(明治2年)2月、品川県知事の古賀一平さんが、土佐藩主の下屋敷跡地(現大井3丁目付近)に官営ビール工場を作ったという記録があったそうだ。
これまでは、その翌年の1870年(明治3年)に、米国出身の醸造技師、William Copeland(ウィリアム コープランド)が横浜にSpring Valley Brewery(スプリング・バレー醸造所)を開設した、というのが、日本のビール史では、周知されている。キリンビールの始まりである。試験に出るわけではないが、工場が出来たことと、販売されたことのいずれを最初とするかに意見が分かれる。
誰もが、早くその幻のビールを飲みたいと、待ちきれなかった。
一人1本ですよ、と斉藤翔三幹事に言われながら、手に取ったボトルは、中瓶の
330mlで、ラベルは紅白。日の丸に神社の御神籤かと思わせた。説明されたのは、「品川区」のマークだった。小振りのゴブレットに注ぐと、いわゆるイエローカラーではなく、ライトブラウン、いやロゼワイン系だった。味わってみた。どこか、イギリスの「バスペール」。エールビールのテイストだった。
飲みやすい。フルーティ。ホップの苦味は、柔らかく品がある。イケル。飲み出した周囲からも、美味いよ、と予想以上の味に驚いている。
製造元をみると、「田沢湖ビール」とある。最古の酵母は「エド酵母」。
但し、当時のレシピーは残されていないので、味は、研究会が作ったことになる。
「品川縣ビール」は、街起こしの起爆剤だったのだ。
ネックボトルには、「東京都若手商人研究会グランプリ受賞作品」とあった。
リクエストが強く、2本目をオーダーする。
シニアエージの会は、このまま食事をして終わりではなかった。
落語が聴けるのだ。立川談幸師匠の一席が始まった。会員に北園高校の先輩がいた。
最後に、しながわ観光協会の大越さんの挨拶となった。
品川に観光がないと言われたことに奮起して、歴史を掘り起こし、観光箇所を整備し、食事処、休み処、蒔絵工房などの店舗を創り、託児所を設け、空き店舗を活性化したり、縁日を復活したりと、これまでのまちづくり協議会の活動を嬉々として語ってくれた。
話の流れで、彼は、我々に首の瘤を見せてくれた。御輿を永年担いできた名誉の印だった。品川神社は長い階段の上げ下ろしをし、荏原神社の御輿は海へ担ぎ出すのだ。街起こしに懸命だった大越さんに、思わず拍手の音が沸いた。
東京を、日本を知っているようで知らなかったことが多かった。
初めてのオフ会は、みな満足した顔で、新馬場駅に向かった。
僕のコートのポケットには、記念の空瓶が入っている。
世界のビール瓶コレクションに新しくて古い幻の1本が加わった。
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