思いがけないアーティストが隣りに座る
「船旅ってな、退屈だろう?」
「来る日も来る日も、見渡すばかり、海ばかりでさ、
クック船長じゃあないが、陸地はまだか、まだかってんで、
僕なんか苛だってしまってさ、精神的に良かあないよなあ(笑)」
「まあ、ひがみじゃあないが、高級老人会の修学旅行みたいじゃあないか」
「苫小牧へ行くだけでも、家内はフェリーで酔ってしまって、ねえ」
リタイアした友人たちに、船旅に一度奥さんを連れ出してあげれば、と、水を向けても、必ずこういった会話で話がしぼんでしまう。定時に着港を義務づけられている運航船フェリーは、低気圧を避けて航路を変えることなどなかなかできないが、ロングクルーズを体験してみると、これらが、杞憂に終わる事が多い。そして「なぜ、もっと早くに乗らなかったのか」と異口同音に言い合うから不思議だ。
案外知られていないのが、船内で催されるエンターティナ-やレクチャーをしてくれる講師の方々と、親しく語れるチャンスが多いということである。そう、どこにも出られない洋上の船というデメリットは、船客にとって予想外のメリットをもたらすのだ。互いが篭の鳥なら、その中で濃い交流が出来るというもの。
例えば講演会で、例えば教室で、例えば演奏会場で、例えばディナーのテーブルで、そして例えば、バーの止まり木で、案外その人が気さくな人であったり、
自分がその後に影響を受ける人になったりすることを知るだろう。
最初の船旅では、講談というものを生で聴き、落語とは異にする迫力ある話術と、その物語性に引き込まれた。
失礼ながら、博覧強記の一龍齋貞心さんを知り、日本橋亭に通うようになった。噺家の古今亭菊の丞さんは、僕と近い上野界隈に住んでいることを知った。
あらたに葉子さんと知り合いになったのも船だった。国立音楽大学声楽科卒の彼女は「カフカフドゴシコ」のボーカルとして乗っていた。アメリカビルボード誌に紹介されたこともあるが、NHKの新人歌謡コンテストで優勝を逸して第2位で、惜しくも紅白歌合戦へのチケットを逃したと言いながら、昔の懐かしい日本の歌を透明な高音で歌いこなしていた。僕は、下船してから何度も彼女のライブコンサートに出掛けた。
それから3年後、阿刀田高ご夫妻とご一緒にオーバーランドツアーに出た。
高とけいこという同じ名前の夫婦が二組いたことに妙な縁を感じながら、シエナからフィレンツェを経てモナコ港までイタリア縦断をした。
カナダのヴィクトリア港から日本までの航路では、これまでにないアーティストに出遭えた。立ってチェロを弾く吉川よしひろさん、トロント在住の絵本作家・イラストレーター飛鳥童さん、そして墨彩画家の王子江(おう・すこう)さんの三人だ。「ヨシ」と呼び合うほどウマがあって、何度もコンサートには出掛けているし、飛鳥さんとは家内がメール交信をしている。
旅に出ると、公園や舗道で売っている絵を買いたくなる僕が、北京の長城に行った帰路、立ち寄った国立美術館で墨彩画を買ったことがある。毛筆で描いた洋画があった。画の中の数カ所に鮮やかな赤と緑の色を乗せていた。その絵には、鑑定書が添付されてきた。それ以来、墨彩画が気になっていた。
その墨彩画を極めた人と言って過言ではない王さんに、船で出遭ったのだ。水墨画教室の講師としてカナダのビクトリア港から乗り込んできた。
ある日、ドルフィンホールで王さんのメインショーが行われた。ステージ横一面に貼られた用紙に、墨をたっぷり付けた毛筆で、人物のクロッキーが描かれていく。
下絵もなしで、直接に筆を動かす。巧みな漢詩を書く柄の長い筆は、コンテのように、B4の鉛筆のように、太くも細くもなり、かなりの速さで白い用紙を埋め尽くして描かれていく。三絶(下書きせず・ハイスピード・失敗しない)というのだそうだ。洋画の基礎を徹底的に学んだことで、独特の筆致が生まれていく。
そのデモンストレーションに唖然とした。後で訊くと、にっぽん丸の98年、00年、01年にも乗船していて、06年で4回も、世界一周クルーズの船客には知られている人だった。特に、98年の船上で描いた絵は、「黄山勝境図」として広島県の弥勒之里美術館に収蔵されているという。
船友たちと姫路に集まったときは、姫路市中央保健センターにある30mの水墨障壁画、「過去・現在・未来」の前で記念写真を撮った。去秋には、銀座のギャラリー青羅にも出掛けた。大作を手に入れることも出来ないので、大きな美術書を買うだけだった。
29歳の時、千葉の日本人が声をかけ、日本に来ることを勧められたそうだ。それ以来、千葉の茂原が第二の故郷になったと彼が言う。千葉県茂原美術館には、公開制作を経て100mの水墨障壁画「雄原大地」が収蔵されている。100m水墨障壁画は、奈良県薬師寺にも「聖煌(しょうこう)」が収められている。そしてさらに、100mの水墨画を世界で初めて常設する「王子江100m美術館」が木曽町に生まれる。この美術館には新作の3作品が描かれる。
北京の国立中国美術館収蔵は、10m×8mの水墨作品「天地斎徳・日月同明」である。北京美術家協会会長であり、「中国当代国画家辞典」に最年少で掲載される。「(中国政府からは)中国に帰って来いと言われますが、私は日本で学びましたから、日本に永住します」と、彼を支援している方には言い切っているという。

その王さんが、「上野の森美術館」全館を使って個展を開いた。現役画家では未だ3人しかいないという、極めて希な大個展となった。大作ばかり28点の一挙初公開であるから、当然ながら、NHKのテレビ画面でしか観たことのない、名作「人生楽事」が観られた。

「人生悩みも苦しみもあるが、楽しく食事が出来ることは幸せです」ということを、中国江南地方の大衆食堂での人々の表情を見ていると、和気藹々と語り合い笑いあっている声が広がってくる。暖かい湯気が提灯の光を通して
伝わってくる。美術館の壁面ぎりぎりのサイズで展示された作品群は、全館を使い切るのに充分その意味があった。歩きながら見る大きさの中に、現代の“絵巻物”を見る思いだった。
雄大な遠近感、流れ落ちる滝のしぶきから、木々の花、ほのかな霞、水面に映る灯り、衣服の皺から一人として同じ表情のない描き込み、杯を持つ手に箸で摘んだ食材など、それが下絵なしで直に筆を入れたとはとても思えない緻密である。
これほど大きなサイズの全体構図を頭に入れて描くことが驚異であることをあらためて実感した。館内は、大きな力強い墨彩画に圧倒された歓声がふわっと、沸き上がっていた。アラスカの氷河を背にしたにっぽん丸の大作も目にしたが、我が家に飾れそうなサイズは『雨後のマンハッ
タン』を描いた小振りな絵だった。
王さんご夫妻に会えたのは、秋以来だった。相変わらず、穏やかな笑顔で迎えてくれた。東京都美術館でも、同時に「墨の位相―現代水墨画特別展」が行われていた。
今年もにっぽん丸は世界一周クルーズに出航する。またエンタティナーや講師との新しい縁が、ネプチューン・バーから生まれることだろう。
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