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2008年6月 8日 (日)

上野界隈に住んで、三十八年目に

 新潟から船友が上京した。「国宝 薬師寺展」本展覧会は、平城遷都1300年を記念して開催するもので、日本仏教彫刻の最高傑作のひとつとして知られる金堂の日光・月光菩薩立像(国宝)が初めて寺外に揃って出た。その上野国立博物館での公開日があと3日と迫った金曜日、思い立って上京したのだ。公開当初、3月は2時間待ちもあったらしい。暑い日には、日傘サービスまで出たとか出ないとか。最終の土、日曜日は、かなり込むことが予想されるとして、新幹線に飛び乗ったのだという。

 しばらく顔を合わせていなかったので、昼食を一緒に食べようとカミサンと上野公園口に出迎えた。

 遠来の友である。上野で食事だ。寿司は、新潟に負ける。鰻の店なら、2年前「伊豆栄」に行った。上野発祥だとされているとんかつなら、「蓬莱軒」「ぽんた」「井泉」などの老舗がある。しかし、公園口からは足が遠い。

 さて、と考えた。そうだ、豆腐料理がいい。浅草の「川風」、白山の「五右衛門」、根岸の「笹乃雪」を思い浮かべる。公園口から足が短いのは、一駅先の鶯谷駅で降りる「笹乃雪」だと決めた。ここの豆腐は、「豆富」と書く。

カミサンや子供達の通った根岸小学校の真向かいだ。

 江戸で初めての絹ごし豆腐を作って、上野東叡山に納めていたようだ。輪王寺の住職に「笹の上に積もった雪のように美しいので、笹之雪と名付けるように」と褒められたのが、ネーミングの由来という。良質だと言われる地下水が店先に流れている。涼しげだ。気温は既に31℃までに上がっていた。

「水無月や、根岸涼しき、篠(ささ)の雪」正岡子規の碑が、玄関前に立っている。

 ゆっくりと、豆腐づくしの料理を口にして、昔一緒に寄港した世界一周クルーズを懐かしんだ。

 仲間が昨夜も、にっぽん丸船上からメールをしてきた。白夜の時間にも後部デッキでゲームが始まったと書いてきたが、「エジンバラから大西洋に出たが、海は大荒れで、デッキゴルフがプレイできない」とあった。

 豆腐のアイスクリームを食べ終えた。この根岸辺りを散策することにした。

080606_13070001_2 080606_13050002  林家三平のネタ帳などが展示されている三平堂は、 金曜日には入れない。開堂しているのは、「ドーもスイません」に因んで、なんと、土曜日水曜日。そして日曜日だ。再び、来た道を戻り、今度は正岡子規庵に 向かう。カミサンは、ここの小路で小学校時代の友人にバッタリ出会う。080606_13060002家族の中ではただ一人僕だけが無関係な、そういう町なのだ。

 「日暮里駅」、「鶯谷駅」の名があるように、根岸辺りは、江戸の昔から、「日暮しの里」、「呉竹の根岸の里」として、明治大正の頃まで、「竹」と「鶯」の名所として有名で、閑静で風流な土地であったという。だから、江戸時代には、画 家・俳人、学者らが住み、江戸の文化を支えた。明治20年代には、幸田露伴、岡倉天心、森鴎外も住んだ処だ。



080606_14440001   中学の修学旅行で、初めて東京に出てきたとき、いくつかの観光コースに分かれたが、僕が選んだのは、「文学コース」だった。本郷から根津、千駄木、谷中、 団子坂など文豪ゆかりの場所を歩いた。神田錦町の会社に内定するやいなや、会社勤めの居住先を本郷中心に探し回ったものだ。独身時代は本郷追分。新婚時代 が八百屋お七で有名な駒込吉祥寺。そして上野桜木、池之端、東上野と、38年間も上野の山の周辺から離れられないでいる。

080606_13130002 080606_13090001 正岡子規も、中村不折に、「文学者や美術家にとり根岸ほどよい所はない、閑静でもあり、研究にも至便の地である根岸を離れず、根岸の土となる」と語ったらしい。中村不折は、あの新宿の「中村屋」のロゴマークを書いた書家でもある。

 子規庵には、スケッチも飾ってあった。あれが中村不折からプレゼントされた絵の具で描きはじめたという絵だったのだろう。なかなか上手いものだ。うそばには、やはり江戸時代からの「羽二重団子」の店がある。きめ細かくて羽二重のようだと賞された名物の団子屋である。

080606_13100001 080606_13090003 「根岸名物芋坂團子、賣りきれ申候の笹の雪」とか、「芋坂も団子も、月のゆかりかな」と詠んで子規もお気に入りだったようだ。漱石の『吾輩は猫である』の中にも、「羽二重団子」が出てくる。

 船友は、「羽二重団子」には行ったことがあるというので、踵を返して、凌雲橋を渡って鶯谷駅の南口から忍ヶ丘中学を抜けた。

 「忍ばずの池に対して、忍ヶ丘とはこれ如何に」カミサンが歩をゆるめながら、質問をした。

 訊くと、ここから比叡山に見立てた東叡山を眺め下ろして、京都を忍ぶことをしたという古人は、東叡山の下にある池からでは、京都を忍べなかったのだという謂われがあるらしい。

 ここで船友も蘊蓄を披露した。「都を造るとき、古から風水を頭に入れる。北東は鬼門だと言われるが、その位置に寺を配置して、気を治めるのだね。京都では、北東に比叡山延暦寺を置いた。江戸は上野に寛永寺を」なるほど、なるほど。

 上野には京都があるある。五重塔もあるし、清水観音堂もある。不忍池は琵琶湖だし、池の真ん中の弁財天は、竹生島だ。そんなことを話ながらの国立博物館の横道は、見明院、本覚院、輪王寺と、ふと京都辺りを思わせる寺道になっている。

 いやいや、僕に言わせれば、名古屋の自分にとっても、まんざら縁がないわけでもない。徳川は三河の出身でもある。ここは元々、伊賀上野の大名藤堂高虎の屋敷があり、その古里の地形に似ていたことから、「上野」と呼ぶようになったのだから。

080606_14030001 080606_14040001  

  歩き疲れたからと、国立西洋美術館のレストラン「すいれん」に入った。初めて入ったのだが、ここは、中庭が見えてとても落ち着ける場所だった。展示チケッ トなしで入れるとは、実は知らなかった。気に入った。時折、お茶をしに来るにはいいところだ。ミュージアムショップを覗いてみる。ギリシャ、イタリア、フ ランス系の美術関係書籍が、一度にここで購入できるのもいい。

 新潟からの船友、菅井荘輔さんは、帰った。造園の専門家であり、絵も彫刻も出来る人である。また、ぶらっと、上野の美術館に遊びに来るだろう。

080606_13560001 そうそう、「ダーウイン展」が最終日だった。この「ダーウイン展」、荘輔さん夫婦と06年にロンドンの大英博物館に入った時、展示されていたものだ。偶然とはいえ、あれから、2年経って、上野でそのポスターを眼にするとは思わなかった。

 おかげで、今日半日は、あらためて、根岸の里の良さを味わえた。

 海外に出ると、日本のことをあれこれ訊かれる。日本人でありながら、彼らに上手く応えられない時を多く経験する。帰国すると、日本をあらためて知りたくなる。説明できるようになりたいものだと、「日本」を勉強し直したくなる。

 今日、その気持ちが実に良く解った。「谷根千」を随分読んでいないことにも気づいた。

今度は、浅草から足を伸ばして「蔵前」辺りも歩いてみよう。

 

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